* 本 町 今 昔 物 語 *
(本町小と周辺地域の記録写真集)

本町小学校ができた当時と、現在の様子をくらべてみてください!

1965年6月、13名の地主のご好意により 学校用の敷地が確定し、10月より校舎建築に着工しました。
翌1966年2月には、第1期校舎の建築が完成し、4月に本町小学校が開校しました。

ある日、野原のまん中に工事拠点のプレハブが建ちました

そして、校舎の工事が はじまりました
 
  
本町小学校ができたとき、学校のまわりは畑でした。 そして、左下の写真のように、まだ体育館がなかったので、
第1回の入学式は校庭で、卒業式は屋上でやりました。 体育館が完成したのは、1967年8月でした。
学校全景 南西から見た1966年の本町小学校の全景 ナンジャモンジャの急カーブ
 今は住宅が建っており、校舎の全景は見えません
☆上の写真(2枚とも)は、卒業生の斎藤様のご提供です (貫井北町2丁目在住。 親子で本町小に在籍しました)
 
第一回入学式
校庭で行われた入学式。 お母さん方は和装が多い!
第一回卒業式
屋上で行われた卒業式。 富士山が見える見事な晴天だった
☆左の写真は、若林PTA初代会長のご提供です。 右の写真は、開校5周年記念誌より転載
 
  
本町小学校の校庭のまわりには、ポプラの苗木が60本も植えられました。 これは、クラーク博士の有名な言葉
「少年よ、大志をいだけ」にちなみ、本町小の子供達も大志をいだいてほしいという願いをこめて、北海道大学のポプラ
並木のようになるように植樹したという逸話があります。 苗木はわずか4年で、3階の高さにまで成長しました。
校庭のポプラの木
全校体育集会の様子。 校庭から西の方角をのぞむ
☆写真は、当時、新進気鋭の教師として本町小に着任された三輪先生のご提供です
 
P(Parents:保護者)・T(Teachers:先生)・C(Community:地域) の強いスクラムという良き伝統は、今でも受け継がれて
おりますが、開校当時のパワーは、それはそれは ものすごかったと聞いております。 新設校のため備品が
そろっていなかったので、PTAは地域での廃品回収やベルマーク回収に取り組み、何もない砂浜のような校庭
を整備しようと、150本以上の樹木を寄贈しました。 廃品のテレビを修理した父兄、専門的技術を発揮して花壇
造園の先頭に立った父兄、第3回卒業生とともに古い電柱6本を使って「猿が島」を組み立てた父兄等、多くの
エピソードが残っていますが、何といっても「PTA設立総会」のものすごい熱気は 有名なエピソードであります!
体育館がまだなくて、当日は雨天のため、会場を音楽室に変更したところ、出席者が入りきれずに大モメとなり、
廊下にもイスを並べて、午前10時から夜7時頃まで食事もとらずに 真剣そのものの討議が続いたそうです。
これが、「学校と家庭が協力して教育の充実発展を図る」という PTAの模範的運営の原動力だったのです。
下の2枚の写真は、そのときの様子を撮影した貴重なものです。

すし詰め総会
音楽室では、隣の人と肩が触れ合うようにして着席
あふれ出た出席者
入室できずに廊下にあふれ出た出席者
☆写真(2枚とも)は、開校5周年記念誌より転載



その頃、一中と二小には、まだ木造校舎が残っていました。 通学区域の変更で二小から本町小へ編入
した児童の中には、本町小が新しくてきれいなので、二小に残った友達から「いいなぁ」とうらやましがら
れた人もいたそうです。 でも、一中に入学して木造校舎に戸惑ったのは、本町小出身者のほうでした!
一中南側
一中の南側(本町住宅)から 当時の木造校舎をのぞむ
一中空中写真
空から一中校舎を見る。 二小の木造校舎も一部見える




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